パナレーサー
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22th Azerbaijan Tour Etape 5
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9月24日“桃源郷”
8月25日号“U23 最後の全日本”
6月23日号“ROUTINE(ルーティーン)”
5月27日号“生きがい”
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2004年、ミヤタスバルレーシングチームで活動することになった西村拓也です。どうぞよろしくお願いいたします。

 自分のこれまでの競技人生を振り返ってみる。
自転車を始めたのは高校2年の時、友人が自転車部に所属していて「一緒にサイクリングでもしないか」と誘われ、軽い気持ちで入部したのがきっかけ。
当時は、ロードレースが今みたいにあちらこちらで開催されておらず、レースと言えばトラック競技主体にならざるを得なかった。目標はインターハイと国体であった。国体は無縁だったが、インターハイについては幸いにも自分が入部した時点で部員が4人になったので、「イタリアン」(=今で言うオリンピックスプリントの4人編成)を編成出来ることになり、顧問の先生の熱心な指導のおかげもあり、インターハイ2年連続出場も果たし、それなりに充実した高校生活を終えることが出来た。

高校を卒業してからもずっと乗り続けようと思っていたが、いざ就職してみると、モチベーションはどこにも見当たらず自転車から完全に離れてしまい、ロードレーサーは家の中の障害物と化してしまった。それでも毎年行われるシマノ鈴鹿ロードだけはなぜか参加していた。エントリー種目は未登録最高峰の5周の部。しかし、トレーニングなんか全くせずにぶっつけ本番で挑むわけだから結果は散々。もう自転車は辞めようと何度も思ったが、せめて完走するまではという目標だけで何とか細々と続けることが出来ていた。今思えば、このちっぽけな意地がなければ今の自分は居なかったと思う。

忘れもしない97年のシマノ鈴鹿ロード。
念願の完走を果たしたゴール後の充実感は今でも鮮明に覚えている。その日をきっかけに走ることの味をしめてしまい週末には練習するようになり、ホビーレースなどで勝つなど徐々に自転車の魅力にはまってしまう。登録も行い、99年には伊豆CSCで行われた全日本実業団対抗ロードに出場出来るまでになっていた。ここに至るまで本当に出来すぎた内容だったが、ここで初めて挫折を味わう。元来、上りは得意だし、コンディションも良かったので最悪でも完走出来ると思っていたが、半分でリタイヤ。「自分はもうこれが限界なのか?」と、もうどうすればいいのかわからなくなり目の前が真っ暗になった。

この時、同レースに来ていたナカガワレーシング監督の中川氏が自分の走りを見て、「まだまだ修正の余地はある、練習方法を見直す必要があるのでは」と評価してくれ、それをきっかけに迷わずナカガワレーシングに移籍することを決断した。ナカガワレーシングに入ってからは競技に対して真剣に考えるようになり、とにかく強くなりたいという気持ちだけで、まず何よりも自転車を優先してがむしゃらに乗っていたことを覚えている。「好きこそ物の上手なれ」とはよく言ったもので、年々自分でも驚くほど強くなっていった。自分の中でのモチベーションも「BR−1完走→入賞→優勝→海外での参戦(日本代表)」と走るたびに変化があった。

04年ミヤタスバルレーシングチームで活動することになった。
自分の中で新たな高い目標を掲げて意気込んでいた矢先、何とシーズン目前の3月に練習中の落車で脳挫傷を負ってしまう。大事には至らなかったが、大きく出遅れることになってしまった。あらゆる人たちに本当に御心配、御迷惑をかけてしまったが、得たものあった。
それは、競技生活が自分には無くてはならないものと確信したこと。
怪我をしてからは励ましの声をよく頂く。でも、中には「もう辞めれば」という声も確かにある。自分はそんな時、迷わずに「『生きがい』なのでやめられません」と答えている。
そんな『生きがい』を応援してくれるチームやスポンサー、ほか応援してくださっている方々には本当に感謝をしているし、又、それを共感できるチームの仲間が居ることに幸せを感じている。とにかく1日も早く復帰して『生きがい』をかみ締めたいと思う。

プロフィール

西村 拓也選手
単新加入のオールラウンダー
これまでクラブチームで走ってきたベテラン選手。フルタイムの仕事を持ちながら、時に国内のトップ選手を打ち負かすその走りには、観客を魅了する迫力がある。実業団レース3勝の実績を誇り、ヒルクライムやクリテリウムなど、オールラウンドに実力を発揮する。

 
03年からPanaracerとパートナーを組む
「MIYATA SUBARU レーシングチーム」。
使用するタイヤは
Panaracerストラディアス エクストリーム バリアントEVO2」。

ミヤタスバルレーシングチーム
HP

www.miyata-subaru.com