今年アンダー23の最後の年を迎え、周囲の期待、そして自分自身もやらなきゃならないというプレッシャーを抱えシーズンが始まった。
昨年秋に右のふくらはぎを肉離れしたままシーズンを終えたため、自転車のペダリングを忘れてしまっているような状態だった。相川トレーナーの指示に従い、自転車以外のウエイト、ランニング等でオフトレをこなし、1月に入りトレーニングを自転車に移行した時、昨年怪我をした箇所に同じような違和感が残っていた。違和感があるまま強度を上げてもまた肉離れを起こす可能性がある。
思うように練習を出来ない毎日でただ時間だけが過ぎていった。その間出場したレースも散々な結果に終わっていた。4月に入り、なんとかまともに自転車に乗れるようになってきたが、すでに5月の全日本までは1ヶ月を切っていた。「全日本までには無理かもしれない・・・」と思い始めていた。この時期走れていない僕を見て、監督を始め周りの選手もきっと僕に対する期待は薄れていたと思う。
僕はただただ相川トレーナーを信じメニューをこなしていった。そして4月半ばの3day熊野を走り自分の力がどんどん戻ってきている事を確信した。まともに練習を始めて3週間もたっていないのに自分でも驚いた。それが少し自信になり、翌週、全日本選手権の舞台でもある修善寺での都ロードを走った。2位でゴールし、ここでも調子が上がっていることが確認できた。そしてただ翌週の全日本選手権を迎えるだけとなった。
レース前日、夕食時にミヤタスバルから出場するたった一人の選手を取り囲むスタッフの多さに改めてプレッシャーを感じ始めた。そして翌5月1日いよいよ全日本選手権U23のレースが始まった。当然マークするのは日大選手勢だった。だが、学連と一緒に走る機会もなく選手をほとんど知らない僕にとって、誰が強いのか分からず不安要素は多かった。前半から逃げが決まり、中盤までメイン集団にて待機していた。最終的に6名の先頭集団に絞られその中に僕も入った。有力チーム各一名ずつといった感じだ。そして終盤にさしかかり日大の盛選手のアタックをきっかけに二人旅が始まる。そして最終周回を迎え、監督、トレーナーの無線での声に勇気付けられゴールを目指した。最後の登りに差し掛かったところで後方から鹿屋の池田選手が追いついてきた。これには少々動揺したが、もう自分は行くしかないという想いでゴール前まで来た。そしてスプリントを制し念願の全日本選手権に優勝する事ができた。
今回の優勝は、僕をサポートしてくれてきたスタッフの方々、会社の方々、応援してくださった皆さんの支えがなければ実現できなかった事だと思います。何より僕を拾って、ここまで育ててくださった栗村監督、そしてたった1ヶ月で全日本選手権優勝まで導いてくださった相川トレーナーにはただただ感謝するだけです。
まだまだ力不足ですが、チームの尊敬できる先輩方を追い越せるように強くなり、ミヤタスバルに一つでも多くの勝利をもたらすため全力を尽くします。
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| プロフィール |
| 品川真寛 選手
ベルギー育ちの若手ライダー
若干21歳にして既にベルギーで4シーズンのレース経験を持つ。得意とするクリテリウムでは国内トップレベルの力を発揮。'02年は全日本実業団丸岡ロードで、U23の選手としては10年ぶりの優勝を果たした。トレーナーも驚くほどのフィジカルの強さを武器に、'04年、念願のU23チャンピオンに輝いた。
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