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わたくし三船雅彦も今年で36歳。気が付くと20年以上もレース活動を行っている。今でもチャリンコ小僧の頃となんら変わっていないが、ふと鏡を見るとヒゲの濃くなったオッサンと化した自分がいる。時間はすべての人に平等で流れている。
世間一般的に36歳と言うと、肉体の「限界」などいわれることが多い。しかし自分ではまだまだ「限界」に達していないと思っている。
4月に行われた3ディズサイクルロード熊野では区間2勝をあげることができ(それも実は実業団のロードレースで初優勝だった)まだまだ自分自身戦っていけると言うことを実感できた。
去年のツール・ド・北海道。プロローグを無難に走り終え、第1ステージではバーチャルで総合2位、逆転までは1秒ほどまで追い込んでいた・・・
レース前、自分を取り巻く環境が大きく変化し、競技に没頭できる環境が作り出せない歯がゆさで引退を考えていた。ある意味で自分の「限界」を初めて見た瞬間だった。もし初日でリーダージャージを獲得できるなら、それを花道にリーダージャージで引退するのもありかな?と考えていた。幸か不幸かラスト20キロで10人以上の選手に逃げられ、総合は大きく後退。このままでは辞められない。負けて逃げたくはない!そんな気持ちに火が付いた。近年まれに見る秒差での争いとなった北海道で、緻密に計算して徐々に成績を上げていく。それは今までの経験を生かせたレースとなった。
最終的に総合6位。前年度と同じ順位となったが、その重みはまったく違い、あともう少し競技を行っていこう、今までとは違うスタンスで競技を続けていくのもありなのではないか?と思えるようになった。競技を行いながら、そして引退してからも生計が立てられるように自分で事業を起こすべく、帰国後から徐々に活動を行っている。
北海道のときは競技とそれを取り巻く状況が上手く噛み合わず、ある意味自分の「限界」で
瀬戸際だったのだと思う。ヨーロッパプロ時代、週に700〜1000キロあった走行距離は、半分ほどに落ち込んでしまった。しかしその限られた環境の中で強くなっていく、強さを維持することは不可能ではないと思っている。それこそが15年のヨーロッパでの海外活動の中で得た経験だと思っている。
ツール・ド・北海道で吹っ切れて、競技を続けようと思ってからは、年末に行われたツール・ド・サウスチャイナシーでは区間賞。そしてリーダーを4日間、ポイント賞も3日間、最終的に総合7位となった。熊野では総合3位に区間2勝、ツアー・オブ・ジャパンでは大阪で区間7位、東京で区間4位と、過去に比べても遜色のない成績を残せていると思っている。
8月末には家族がもう一人増える。競技に費やせる時間はますます減ることだろう。それでも強くなりたい、強くいたいと言う気持ちがあればそれを遂行することは可能なはずだ。今の自分にとって「限界」とは、自分自身で勝手に決めているハードルなのではないだろうか、と思っている。
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