パナレーサー
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歴史とともに
22th Azerbaijan Tour Etape 5
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2006年を闘う選手達
世代を超えて
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ふたたび北の大地へ

自分探しの度
「限界」との闘い
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心機一転
4月25日 絶対なんてなくなくな〜い?
4月1日 自分で考える
2月23日 車輪の上
1月28日 2005年を闘う選手たち
12月22日Give & Take
11月26日“学んだこと”
10月29日“エリート1年目の生活”
9月24日“桃源郷”
8月25日号“U23 最後の全日本”
6月23日号“ROUTINE(ルーティーン)”
5月27日号“生きがい”
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僕がロードレースをはじめたのは今から18年前。最初のレースは中学2年の時に出場したチャレンジロードレース。

当時は中学生クラスに70人ものエントリーがあった。レース前は勝つ気満々で、 親父に優勝したら新しい自転車買ってとおねだりしていた。あの頃から僕は自信過剰な奴だったのだが結果は60位。大敗だった。その後、毎日練習をして、3年生の時には入賞できるようになった。

高校進学と同時に親父に実業団チームを作ってもらい、15才から日本のトップ選手と走る環境を手に入れ、更に、卒業後はカナダ&アメリカへ自転車留学の為に足を運んだ。

この留学で年間70レースを走りスプリント力を身につける。今思えばここでの経験が、その後の自分に大きくプラスになったんだと思う。

その後、日本に戻り大石一夫さんが率いる「エキップあづみの」に加入し、 19才でツールド北海道総合5位に入り自信をつけ、翌年ブリヂストンに入社。ブリヂストンで3年間活動したが、なかなか成績が伸びず悩んでいた時、シマノの坂東監督を当時選手だった今西選手に紹介して頂き、シマノへ移籍。

シマノでの6年間は僕にとって、選手として強くなるだけでなく、「社会人とは」「人間関係とは」「チームとは」と、色々な事を学んだ。 坂東監督をはじめ、今西キャプテン、シマノのメンバーの支えが無ければ今までの成績は無かったと思うし、今でも感謝の気持ちを抱いている。

では、なぜそのシマノを辞めてアンカーに移籍したのか?それはただヨーロッパで走りたかったから。フランスでの活動は今までに無いほど、刺激的で楽しかった。日本に居るような感覚で、 ヨーロッパを転戦できる環境を選手に与えてくれている浅田監督はすごい人だなと思う。

ただ怪我に泣かされた1年でもあり、浅田監督の期待に応えられなくてとても残念であった。成績を残さなければ契約が厳しくなるというプロ選手としての厳しさを感じた年でもあった。結局1年でヨーロッパ生活を断念。悩んでいた時、栗村監督に話を持ち掛けミヤタスバルに入る事になる。

なんだかんだ言っても、 僕の自転車人生は恵まれているなあと感じる。色々なチームに行き、色々な事を学べ、周りの人達の理解があったからこそ自由にやって来れたんだなと思う。

現状は国内活動だけども、僕の中ではフランスでの活動が忘れられずにいる。チャンスをみて、またヨーロッパ活動をしたいと思う。応援してくれる皆さんに、いつまでも魅力ある選手であれるよう頑張っていきたいと思います。これからもミヤタスバルと鈴木真理をよろしくお願いします。

プロフィール

鈴木 真理 選手

〜アテネオリンピック日本代表〜
アジア&全日本チャンプという主要タイトルを獲得してきた日本を代表するレーサー。登板力とスプリント力を高い次元で兼ね備えた万能タイプで、あらゆる形態のレースで優勝を狙える。
湘南地区出身ということもあり北京オリンピックまでの時間を地元ミヤタスバルで過ごす事を決めた。
06年「ツアー・オブ・ジャパン」個人総合ポイント賞獲得!

 
タイヤは・・・
03年からPanaracerとパートナーを組む
「MIYATA SUBARU レーシングチーム」。
使用するタイヤは
Panaracerストラディアス エクストリーム バリアントEVO2」。

ミヤタスバルレーシングチーム
HP

www.miyata-subaru.com