プロフィール
藤野むつみ
1969年2月14日・東京都生まれ
グラフィックデザイナー、漫画家、医療従事者と様々な職歴を経て1991年よりスポーツ自転車に親しむ。
1995年に実業団チームGIOSに加入、同時に自転車関連雑誌への漫画連載もスタート。「常に締め切りに追われる選手」として活動。1996年に出場予定選手の欠場でシクロクロス・ワールドカップ(オランダ)に繰り上げ出場。1997年にニュージーランドUCI公式女子ロードレースに出場して日本人女子選手としては多分初めてレース中に迷子になって開催地の地元新聞一面を飾る(馬鹿)。
1998年末にチームGIOS退団、直後に実業団チームVOLCAを設立(現在はチームVOLCA-CCM)。
1999年に第6回全日本シクロクロス選手権・女子クラス優勝。何故か自転車業界の笑い話のネタになる。
2001年に自転車普及のためレース運営団体「関東サイクルスポーツ運営委員会(KCSO)」設立。
チームVOLCA-CCMホームページ
関東サイクルスポーツ運営委員会
(KCSO)ホームページ
Wheel Talk 目次
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8月20日号「仕事のことをお話します」
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9月13日号「ベンチャービジネスとしてのメッセンジャー」
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10月21日号「救急メッセンジャーのその先のそのまた先へ!」
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11月27日号「ここから、ここを含む世界へ」
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12月24日号レーサーでなく「チャリダ−」
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1月24日号 「自転車に乗ることと、食べること」
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2月21日号 「最高の走りにつなげるために」
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3月27日号 「“スポーツは文化”を地域から」
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4月25日号 「メッセンジャーと風景」
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5月21日号 「私がスポーツ自転車普及にハマったワケ」
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6月27日号 Panaracerは、「茄子 アンダルシアの夏」を応援します!
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8月28日号 「何故か魅力的に感じてしまって・・・」
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9月25日号 「初めての世界選」
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10月27日号 「走った後は、地酒だぜ!」
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11月25日号 「すべてから学ぶ」
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12月25日号 「いつもスペシャル★」
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1月21日号「MTB XC競技のトップ選手であり続けること」
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2月27日号 「忘れられない一日」
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3月26日号 「無名な普通のバイカーより」
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4月22日号 「世界で日本人選手が活躍する為に…」
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5月27日号 「被写体としての自動車と自転車」
最初、自転車はママチャリを乗りこなせる程度だった。でもスポーツ自転車に乗る機会はなかった。ドロップハンドルの自転車を見かけた時は「こんなのに乗れたらいいな」と思う程度。絶対、運動神経のない私には無縁だと思いこんでいた。それがバイト先の常連サンの薦めでスポーツタイプの自転車に乗り始めることになる。
しかし運動神経の無い私には試練の日々になってしまった。自転車屋サンが「無料で貸して」くれた自転車は憧れのドロップハンドルのロードレーサー。でも跨いでペダルに足を両方乗せた途端に引っくり返る。ようやく乗れてもギアを変えるために片手を離すと左にヨロヨロ寄っちゃう。靴をビンディングにしてペダルにはめたら3秒後には地面とお友達。薦めてくれた常連サンや自転車屋サンに「薦めて申し訳なかった」と謝られるほどの酷い状況だったようで、ホンキで何度やめようか!と思ったものだ。
ここで普通は自転車を見るのもイヤになりそうだが、あまりにも悔しかったので近くにある人気の少なくなった公園で夜、練習した。それでちょっとでも上達すると「ちょっとスグそこまで乗りに行こう」と自宅から100km以上も離れた峠に連れて行かれて峠の上り口で倒れた。帰り道には大声で泣き叫んで「ダマすな!」と怒りつつも、次の練習会には参加して周りは呆れていた。もう一生懸命がむしゃらに乗るしかなかった。この時には何の為に乗っていたかも分からなかった。ほとんど「意地」だけだったのだろう。
だから自転車のレースに出られるようになって選手仲間と会えるのは楽しかったし、成績が良かったり悪かったりで一喜一憂するのも面白かった。でもそれだけだった。レース会場に観客は少ないし、私は特別に強い選手でもないから自分だけのペースで良いと思って行動していた。意地だけで強くなろうとしても、ますます自分の世界だけに留まってしまいがちなので、様々な方向に目が行き届かないから、ちっとも強くなるわけない。自転車を始めてスグにレースだけたくさん参加したので、ツーリングとか自転車にある他の楽しみを知らなかった。もう私にとってはレース、そして成績を上げるためにムダにもがく事「だけ」だった。
そこに転機が来た。幸運なことに実業団チームに加入することになった。その中で私は元々運動能力には恵まれていなかったので実業団の契約を繋げるために別の形で貢献するためにチームの自転車普及活動を手伝うようになる。チームに子供チームがあったのでスクール講師をしたり、チームイベントの運営を手伝わせていただいた。さらにたまたまオランダのシクロクロス・ワールドカップに遠征したことを友人のアドバイスで一時期中断していた漫画を復活してレポート漫画を書くことにした。その事がキッカケになって雑誌にレポートを掲載出来る様になって、取材のためにレースを見るように変化していった。
さらにニュージーランドのロードレースに参加した時。初日のステージでレース中にコースを外れてしまい1人迷子になってしまった。前日に到着したばかりの始めての土地で右も左も分からず、地元の方々の親切で何とかゴール地点に着けたが、最終ゴールから4時間もオーバーしていた。でも私を主催者が直々に迎えに来てくれただけでなく、何と翌日のステージに私を失格扱いしないで30分のタイム加算のみでスタートさせてくれた。この時からレースへの考え方が変わってしまった。
自分の今までの自転車への関わり方がいかに狭いものか再確認した。自分が自転車の楽しさや苦しさを本当に理解していないと、これから自転車を始める人に何も伝えられない。そしてレースの成績を上げるための苦しさを経ることで、成績を上げること以上に「レースの本質」へ近づける楽しさが分かってきた。
そこで、まず1999年にチームVOLCA-CCMを設立した。ここまで自分の通ってきた「自転車を楽しく乗る上達方法」の道を、後続の人たちにはもう少しラクに、もっと分かり易くしたかったために考えたものだった。そして大きい大会にチームで出場することで、その貴重な体験を通して自転車レース参加をいろんな視点で感じてもらうためでもある。だから、うちのチーム遠征レポートが、賑やかで楽しいけど、個人の主張をはっきり言いながら目的意識を持ってチームでレースに挑んでいく姿は、毎年端から見ていても頼もしく、うれしいのだ。自転車メーカーや店舗運営のチームが多い中、個人で運営していくのは少々辛いこともあるが、私の提案を理解して加入してくれるチームメンバーから思いもつかなかった新たな提案をダイレクトに聞けて反映出来るフットワークの良さが最大の特徴である。
そしてチーム運営をしながら、レースに参加することでいろんな角度から自転車の楽しさと難しさを体験出来るレース開催をしたくなった。海外遠征で効率的なレース運営を見て、国際レースでもイベント的な色合いのレースでも根本がまったく変わらないことが分かった。「選手も観客も皆で楽しめるようにして自転車の面白さを身近に伝わるようにすれば!」。そしてレース運営成功の経験のある友人のアドバイスを受け、2001年冬に「関東サイクルスポーツ運営委員会(KCSO)」を有志と設立した。
皆様のおかげで、現在チームVOLCAメンバー加入も増え、KCSO主催レースも地元に根付いたローカルレースとして定着しつつある。海外遠征へのサポートも毎年恒例になっているし、雑誌に時々レース記事や漫画を書いて掲載していただいている。たまに審判員としてレース運営を手伝いながら、自転車の練習も続行し、フルタイムの別の仕事もしているので尋常でない仕事量になっているように思われているが、本人はいたって気にしていない。これだけ、ドップリと自転車に浸った生活は何事にも変えがたいのだ。
これからは、如何にしてもっと世間にスポーツ自転車を認識してもらうかが今後の課題。やりたいことは山積みである。自転車を愛する皆で未来を切り開くことを夢見てフジノは今日も眠れない。