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| プロフィール |
池田研一(いけだ けんいち)
1972年11月13日生まれ。1991年より北海道を中心に海外はアフリカまで
サイクルツーリングを繰り返す。2001年8月より日本縦断を皮きりに世界一周の旅へ。
君のペースだと20年かかる、と指摘されながらも見果てぬ夢へ向かってマイペースで現在中国を走行中。
タイヤは「リッジライン ブラックス26×2.00」、チューブは「スーパーチューブ 米式」を前後輪とも使用。補給の難しい長期旅行ではすべてに置いて耐久性が一番重要です。Ridge
line Blacks2.00は転がり抵抗も少なく快適。運もあるでしょうが今のところパンクすらしていません。
旅の経過はHPで。
池田研一の地球中継
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2001年11月秋田県能代市郊外。私は茂谷山(もややま)を探しあぐねていた。遠くから見えていたはずの山が見あたらない。国道からさほど遠くないはずなのに目に入る山はどれも孤立してなく、ただ無造作に連なるだけだった。
重い荷物を載せた自転車で行ったり来たりするのは楽ではない。きっと見えているどれかが茂谷山なのだろう。そう自分を納得させようとしたが、やっぱり納得ができなかった。小柄な独立峰。北海道から青森にかけ、いくつもの"モヤ"山を見てきたが、こんなものがそれだとはどうしても思えなかった。
世界一周を始めようと思ったとき、私は迷わず日本からスタートすることにした。意を決して旅立ったアフリカ縦断からはや8年。その中で私の中の関心は奥地や秘境から今自分の立っている場所に降りた。両極端の世界をかいま見、受けつづけたカルチャーショックから立ち直ると、もう一度日本をゆっくり見てみたいと思った。それも10年住んだ北海道から。
北海道212市町村。10年間の総まとめとして残った市町村をくまなく訪れた。その過程で自然と関心を持ち、見つづけてきたものがある。地名だ。
言うまでもなく北海道の先住民族はアイヌ。そのためほとんどの地名がアイヌ語で解釈できる。たとえば遠軽(えんがる)という町には見晴らしのいい岩山がそびえている。inkar-us-i(眺める・いつもする・所)
。アイヌ語の地名は自然と向かい合った素直な命名が特徴だ。だから多くの地名を追っていくと大自然と伝わり合う感性がよみがえってくる。それは自転車に乗る、地を這うような旅にふさわしい。
時代は進んだと信じたい。もはや自転車で旅すること自体珍しいことでも何でもなくなった。誰もが手軽に自転車を国内外に持ち出し、思い思いの場所で大地との交信を楽しむ。ある時はまとわりつく虫に罵声を発し、またある時は沈みゆく夕日に感傷にひたる。あるいは尽きせぬ登りに疑問を呈し、あるいは限られた下り坂に時を満喫する。
山に山が連なる台湾の頂を、何度でも越えつづけよう。そして呆れるほど真っ平らなサハラの地平線を、ただひたすらにこぎ続けよう。硬直した心身を解きほぐし自然が体にしみ込んでくることに、身を任せよう。
mo-iwa(小さい・山)が転じてmo-ya。小さい山と言ってしまえばそれまでだが、いくつものモヤ山を見ていくとそれが単に「小さな山」以上の意味を持っていたことがわかる。独立峰で200mくらいの高さ。頂上は丸みを帯て暖かく、しばしば素朴な祠が立てられている。決して「小さい山」に過ぎぬ典型的な「モヤ山」が、そこにはいつもある。
再び秋田県能代。右往左往を繰り返しながら地元の人たちに聞き、ようやく私も茂谷山への道にたどりついた。半信半疑で登る急坂。こんな急坂の先に独立峰がありうるものだろうか。
しかし登り切ったとき目にしたものは、紛れもなくよくよく見慣れたモヤ山だった。段丘の上に立つ独立峰。なるほど下の国道からは見えなかったはずだ。
例によって麓にあった鳥居をくぐりぬけ頂上まで登った。するとそこには当たり前のように小さなお宮がたたずんでいた。赤みを帯びた午後の陽が、雑木林を抜けちらちらと射し込んでいる。
和人が入り込む以前の古代東北。その時代から今に至るまで茂谷山はモヤ山であり続け、地域の信仰を集め続けていた。続縄文人が発した「モヤ」という音だけが、その事実を静かに伝えていた。
時を超え、空間を超えて。
ここから、ここを含む世界へ。
自転車の旅は続いていく。
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秋田県能代市茂谷山
(ツーリングマップル東北P90G4(地図に記載無し))
国道7号線からは一瞬しか見えない。鶴形駅東1km地点から南へ細い舗装路をクネクネ登ると、どんと見えてくる。途中でダートになるが、そのまま4kmほど走ると麓まで着く。左に入ったところに小さな鳥居があり、そこが登山口。 |
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