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| プロフィール |
伊神和史
日本獣医畜産大学時代は乳蛋白の研究、ヤマハ時代は全日本技術選手権サービスマンとしてワックスと温度計、ヤスリとドライバーを片手にスポーツ舞台の裏方の重要性を学ぶ。障害者の施設でスポーツを指導しながら再び学校に通いPT国家免許取得。現在は東白川村国民健康保険病院リハビリテーション科に勤務。スポーツ選手用足底板を用いた障害予防を専門とする。
日本障害者自転車協会副会長・競技力強化委員。健康運動指導士、日本自転車競技連盟・日本陸連・日本トライアスロン連合公認審判員。日本体育協会アスレチックトレーナー、日本障害者スポーツ協会スポーツコーチ。 |
| 主な研究論文 |
| 脳性麻痺自転車競技選手に対する耐乳酸トレーニングと水分、エネルギー摂取に関して(2001日本障害者スポーツ協会)、重度脳性麻痺者の三輪自転車を用いた屋外リハビリテーション(2002体力医学会)、起立訓練ベッドを用いた腹筋評価の試み(2002全国国保学会)、直線偏光近赤外線レーザーを併用したストレッチングの効果(2003岐阜PT学会)他 |
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2002年夏、ドイツ アウグスブルグ1KmT.T.スタート前、日本期待のタンデムエースの横で必死に腰のテーピングをする男がいた。
エースは元チームメイト。私自身も94年98年はタンデムの前乗り選手として走っていたが、今回の世界選手権から「走れる」「治せる」「自転車競技がわかる」「コーチ資格をもち」「障害者クラス分類ができる」監督として、アテネを狙う日本ナショナルチームを影で支えることとなった。
02年の世界選は、日本に存在しないカントの強い200m木製バンクのきついGが加わったことにより、持病の腰痛症が再発したが銀メダルを獲得。
本人の走りに必要な運動生理学、整形外科、解剖の知識でアップからテープのゆるみまですべて計算して、最善の方法を模索した。
現場では限られた機器で診断、治療を行い「いつ」「何を」「どうしたら」今の状況下で、一番良いのかを的確に判断しなければならない。緊急性はどうか、専門医受診の必要性、選手の意思などを考えると判断は非常に難しい。
海外の試合にきている選手に対して「湿布を貼って安静にしてください」なんてことは通用しない。
悪いなりに今の状況下でのベストの走りができるようにするのは、障害者の選手にかぎったことではない。2002年東海インターハイ予選で転倒した選手、「骨は異常なさそうなので、高校最後の大会を何とか走れるようにしてくれ」と監督さん。病院の外来であれば無理はさせないところだが、アイシング、固定を行い整形外科受診を条件に処置をした。
結果は負けてしまったが、彼は満足して監督さんとお礼を頂いた。選手の喜びがこの仕事の生きがいである。そこには、障害者を、同じ競技を志す一人の選手として扱うノーマライゼーションの考え方が基本にある。
海外では脚の無い選手が日本のインターハイレベルで走る。とても障害があるとは思えない世界である。脳の障害をもつ選手はバランス感覚など特殊な配慮が必要であるが障害の程度によって三輪車からピストに乗れる選手まで広く分かれる。また片手の選手はハンドル、ブレーキ、変速の改造で普通に走れるし、切断の選手は義足とペダル、クランクの工夫で一般の大会にも出場できている。海外と比べると、ノーマライゼーションの考え方はまだまだ日本には定着していない。
私自身は、大学時代からやっていた、4輪レース、2輪レース、スキーアルペン競技、トライアスロンから自転車に転向し現在に至る。2002年11月マスターズ国体個人追抜6位、まだまだ現役で走る。体脂肪は7%。
様々な競技種目の経験を生かし、個々の筋肉の特性、エネルギー供給系、動的アライメント等から総合的に考え栄養学、メンタル面も含め、競技者の様々なニーズを大切にするように心がけている。
これまでの経験からドクター、管理栄養士、コーチ、メカニック等多くの専門職の友人を得ることができ、彼らの協力のもとみんなの能力を結集させ総合力のあるチームづくりを目指して今後もがんばって行きたいと思っている。 |
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ドイツに世界選ナショナルチーム監督として乗り込んだ伊神氏。葭原滋男・水澤耕一ペアが男子タンデム1キロTTで銀メダルを獲得した。 |
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選手にテーピングをする伊神氏。すべて計算し、最善の方法を模索する |
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