プロフィール
中川 康二郎 選手
今シーズン絶好調の安定感が武器のベテランライダー。トレーニングやレースに取り組む姿勢は素晴らしく、真鍋選手とともに若い選手のお手本的存在。また、監督の戦術などにも非常に忠実で、あらゆる部分で高いプロフェッショナリズムを備えた万能タイプの選手。
見走録 目次
フランス見走録 8月20日号「その1 〜はじめに〜」
フランス見走録 9月12日号「その2 〜チーム事情&生活事情〜」
フランス見走録 10月21日号「その3 〜軽量化〜」
フランス見走録 11月27日号「その4 〜壊れ物リスト〜」
フランス見走録 12月24日号「その5 〜帰国、そしていつか再び〜」
レース見走録 1月24日号「その1 〜大きな夢を見続ける〜」
レース見走録 2月21日号「その2 15年の軌跡、そしてこれから」
レース見走録 3月27日号「その3 アメリカでのレースに寄せる想い」
レース見走録 4月25日号「その4 経験の3月」
レース見走録 5月21日号「その5 迷いを消したあの感覚」
レース見走録 6月27日号「自転車競技を始めたキッカケ」
レース見走録 7月25日号「かつて自転車に乗られなかった僕が・・・。」
レース見走録 8月28日号「私を育て蘇らせてくれた情熱というエネルギー」
レース見走録 9月25日号「ナショナルチーム
レース見走録 10月27日号「ツールという最高の舞台に立つために」
レース見走録 11月25日号「侵入者」
レース見走録 12月25日号「自転車を精確に組む事」
レース見走録 1月21日号「良さを知らせる」
レース見走録 2月27日号「ふつう」になって思い出されること
レース見走録 3月26日号「メジャースポーツにするには
レース見走録 4月22日号「自己表現」を自転車に込めて

私が自転車競技を始めたのは、大学に入学してから、である。
特別、自転車が好きとか、ロードレースを走りたかったという訳ではなく、4年間ちゃらちゃらしたサークルで遊んで過ごしたくはなかったのと、自分の力を何かスポーツで試したかったという理由から、明治大学体育会自転車部に入部を決めた。

自転車に関しては全くの無知状態だったため、素直に先輩の言うがままの指導を受けていた(使われまくっていた)。タイヤを買ってきて、ホイールにリムセメ塗って貼り付けるなんてのは当たり前。忘れられないのは、「ヨンク」のギヤを「四駆」だと信じ込んだまま、自転車屋に行き、笑われて大恥をかいたことだ。今となってはあの頃の下積み生活は、大変良い勉強になったありがたき事、と思っている。

当然、日大や中央・法政など一流大学には全く力は及ばなかった。しかし、何もかもが新鮮で楽しく、練習は辛かったが、辞めようと思った事は一度もなかった。主将を務めた4年生のインカレでのこと。同期である福島晋一選手(現:ブリヂストン・アンカー)と、10位争いの末、破れて11位になってしまった。

これが、私の自転車人生の始まりだったのかもしれない。レースの楽しさを知ってしまったのだ。

大学卒業後はクラブチームを転々とすることになる。走ることへの報酬など、なかった。いつも当然のようにアルバイトが必要だった。が、その中でも、プロ選手と共に走ることで、意識は上がり、一人で走って勝つよりも、チームで勝つことへの喜びを、より強く、感じるようになってきていた。

30歳を目前にし、改めて、給料もなく自転車に乗る自分を、見た。将来を考え始めた頃、手に入れたのが、ミヤタ・スバルレーシングでの、すばらしい環境だった。

だが、シーズン開始後まもない4月27日、悪夢のような出来事に見舞われる。交通事故、右膝膝蓋骨骨折。当たり前のように乗っていた自転車に乗れないのである。これまでに経験した事のない辛い時期であった。プロ選手を目指す以上、生活の不安定さは、いた仕方ないと思う。だが、事故やケガは、選手生活を終わらせかねない。

私はこのときまで、大きな事故やケガは経験していなかったのだ。もどかしく、苦しい2ヶ月間を経て、復帰第一戦として迎えたのは、全日本選手権だった。

当然の如く、半分でリタイヤ。しかし、この時、身体を駆け抜けたのは、あの感覚。レースに出場できた。自転車に乗る事ができた。大学に入り、初めて自転車に乗ったときの、あの、新鮮な感覚。

風と戦い、敵と戦う。とてもシンプルなように見えるが、実は奥が深いこの競技。その魅力に取り付かれた頃の気持ちを思い出した。あのとき争ったのは、インカレの10位であったけれど、心臓はドキドキ高鳴り、興奮を味わっていた。あれが、全日本選手権・世界選手権での優勝争いだったら、いったい、どんな感覚になるのだろう? …想像もつかない。

世界への階段は、まだまだ、遥か彼方先まで続いている。私は非常にゆっくりだが、一歩一歩着実に、ステップアップしてきた。今年2年目となるミヤタ・スバルで、迎えたのは、13シーズン目。これまで積み重ねてきたものをかみしめ、未来へ目を向ける。今ここに、しっかりと前を見ている自分がいる。もう、迷いはない。

私は、これからも惜しみない努力を注いでいく。仲間たちとともに、ポディウムに上る日のために…。

タイヤは・・・
今年からPanaracerとパートナーを組む
「MIYATA SUBARU レーシングチーム」。
使用するタイヤは
Panaracerストラディアス エクストリーム」。