| 私が自転車競技を始めたのは、大学に入学してから、である。
特別、自転車が好きとか、ロードレースを走りたかったという訳ではなく、4年間ちゃらちゃらしたサークルで遊んで過ごしたくはなかったのと、自分の力を何かスポーツで試したかったという理由から、明治大学体育会自転車部に入部を決めた。
自転車に関しては全くの無知状態だったため、素直に先輩の言うがままの指導を受けていた(使われまくっていた)。タイヤを買ってきて、ホイールにリムセメ塗って貼り付けるなんてのは当たり前。忘れられないのは、「ヨンク」のギヤを「四駆」だと信じ込んだまま、自転車屋に行き、笑われて大恥をかいたことだ。今となってはあの頃の下積み生活は、大変良い勉強になったありがたき事、と思っている。
当然、日大や中央・法政など一流大学には全く力は及ばなかった。しかし、何もかもが新鮮で楽しく、練習は辛かったが、辞めようと思った事は一度もなかった。主将を務めた4年生のインカレでのこと。同期である福島晋一選手(現:ブリヂストン・アンカー)と、10位争いの末、破れて11位になってしまった。
これが、私の自転車人生の始まりだったのかもしれない。レースの楽しさを知ってしまったのだ。
大学卒業後はクラブチームを転々とすることになる。走ることへの報酬など、なかった。いつも当然のようにアルバイトが必要だった。が、その中でも、プロ選手と共に走ることで、意識は上がり、一人で走って勝つよりも、チームで勝つことへの喜びを、より強く、感じるようになってきていた。
30歳を目前にし、改めて、給料もなく自転車に乗る自分を、見た。将来を考え始めた頃、手に入れたのが、ミヤタ・スバルレーシングでの、すばらしい環境だった。
だが、シーズン開始後まもない4月27日、悪夢のような出来事に見舞われる。交通事故、右膝膝蓋骨骨折。当たり前のように乗っていた自転車に乗れないのである。これまでに経験した事のない辛い時期であった。プロ選手を目指す以上、生活の不安定さは、いた仕方ないと思う。だが、事故やケガは、選手生活を終わらせかねない。
私はこのときまで、大きな事故やケガは経験していなかったのだ。もどかしく、苦しい2ヶ月間を経て、復帰第一戦として迎えたのは、全日本選手権だった。
当然の如く、半分でリタイヤ。しかし、この時、身体を駆け抜けたのは、あの感覚。レースに出場できた。自転車に乗る事ができた。大学に入り、初めて自転車に乗ったときの、あの、新鮮な感覚。
風と戦い、敵と戦う。とてもシンプルなように見えるが、実は奥が深いこの競技。その魅力に取り付かれた頃の気持ちを思い出した。あのとき争ったのは、インカレの10位であったけれど、心臓はドキドキ高鳴り、興奮を味わっていた。あれが、全日本選手権・世界選手権での優勝争いだったら、いったい、どんな感覚になるのだろう? …想像もつかない。
世界への階段は、まだまだ、遥か彼方先まで続いている。私は非常にゆっくりだが、一歩一歩着実に、ステップアップしてきた。今年2年目となるミヤタ・スバルで、迎えたのは、13シーズン目。これまで積み重ねてきたものをかみしめ、未来へ目を向ける。今ここに、しっかりと前を見ている自分がいる。もう、迷いはない。
私は、これからも惜しみない努力を注いでいく。仲間たちとともに、ポディウムに上る日のために…。
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