| 15年の長きに渡って活動してきたヨーロッパを後にし、今シーズンから日本に活動拠点を移す。さすがに15年と言う年月は長い! ふと振り返ると、今までのヨーロッパでの思い出がフラッシュバックしてくる・・・。
1987年、高校卒業と同時にオランダへ。アムステルダム郊外のスキポール空港に降り立ったときの、鼻先に突き刺さるような冷たく乾燥した北風は、一生忘れることはないだろう。
オランダで走った初めてのレース。あまりの強風で、スタート後5キロで先頭集団はたったの20人に。俺はなんとその中に入りながら、横風での先頭交代の方法を知らないために先頭交代に入る事が出来ず、直接風の当たる場所に追いやられ、あっけなく先頭グループから千切れた。そして、これまたたったの40キロで最後尾グループまで脱落し、リタイヤさせられた。
1992年、中古だったが初めて自分の車を持った。嬉しくて、レースはわざわざ遠いところへばかり出かけた。そしてオランダからベルギーへ遠征に行った時に交通事故。レッカー移動だけで全ての滞在費を使い切り、ホームステイ出
来なくなり、知り合いのところで居候生活。レース会場へのガソリン代も、レースの賞金をあてにして、前借りして行ったっけ。
アマチュアで経験を積み、1994年プロの世界へ。プロ初レースでは、気が付くと集団から遅れてリタイヤしていた。アマチュア時代での自信が、あっけなく崩れ去っていった1年目だった。さすがにプロの世界はアマチュアとは違う。「きつい」と感じたスピードで止まるアマチュアとは違い、プロはそこからもう一段スピードがアップする。あそこで「もうダメだ、俺はプロでは通用しない」と挫折していれば、今の自分はなかっただろう。常に「次のレースではあの壁を越えよう」と意識していた。
1995年、パリ〜ブリュッセルで完走。大きなクラッシックレースでの初完走だ。ラスト80キロほどでパンクし、サポートカーに見捨てられ独走。優勝したソレンセンに30分以上遅れてのゴール。ゴール後は疲労困憊であまり意識がなく、更衣室に心拍計を忘れてくる始末。普段から忘れ物は多いが、このときはさすがにショックだった。・・・
フランドル一周では、日本人選手として初めての、そして只一人の経験者となった。このレースは、それまでに体験したどのレースよりも熱狂的だった。スタート前のポディウム上から見た、ブルージュの街の広場に埋まった大観衆の姿には、脚が震えるほど。その時分かった。「そう、俺はこの位置に立ちたかったのだ」と。レース中も途切れることのない観客。「こういうメジャーレースを走りたくって、今までやって来たんだ」と、たった一握りの選手だけが体験出来るこの舞台まで来られた幸運を感じていた。
こうして毎年、毎レース、挑戦を続けてきた。
世界で最も自転車に熱狂的なベルギーのフランダース地方で、日本人でありながらも認められたことが誇りだ。
2002年10月、ヨーロッパを拠点とする活動に終止符を打った。
始めに書いた通り、4月からは10数年ぶりに日本での活動を再開する。ミヤタスバル・レーシングチームという国内の強豪チームに加入し、今までのヨーロッパでの経験を生かしたレースをしていきたいと考えているし、自転車がヨーロッパのように「文化」として根付くような活動をしていきたいと思っている。
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