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プロフィール
品川 真寛 選手
若干20歳にして既にベルギーで4シーズンの経験を持つエリートライダー。また経験だけではなく、実力も高いレベルにあり、得意とするクリテリウムレースでは既に国内トップレベルの力を誇る。'02年は国内最高峰レベルの全日本実業団丸岡ロードで、U23(23歳以下)の選手として10年ぶりの勝利を飾った。
見走録 目次
フランス見走録 8月20日号「その1 〜はじめに〜」
フランス見走録 9月12日号「その2 〜チーム事情&生活事情〜」
フランス見走録 10月21日号「その3 〜軽量化〜」
フランス見走録 11月27日号「その4 〜壊れ物リスト〜」
フランス見走録 12月24日号「その5 〜帰国、そしていつか再び〜」
レース見走録 1月24日号「その1 〜大きな夢を見続ける〜」
レース見走録 2月21日号「その2 15年の軌跡、そしてこれから」
レース見走録 3月27日号「その3 アメリカでのレースに寄せる想い」
レース見走録 4月25日号「その4 経験の3月」
レース見走録 5月21日号「その5 迷いを消したあの感覚」
レース見走録 6月27日号「自転車競技を始めたキッカケ」
レース見走録 7月25日号「かつて自転車に乗られなかった僕が・・・。」
レース見走録 8月28日号「私を育て蘇らせてくれた情熱というエネルギー」
レース見走録 9月25日号「ナショナルチーム
レース見走録 10月27日号「ツールという最高の舞台に立つために」
レース見走録 11月25日号「侵入者」
レース見走録 12月25日号「自転車を精確に組む事」
レース見走録 1月21日号「良さを知らせる」
レース見走録 2月27日号「ふつう」になって思い出されること
レース見走録 3月26日号「メジャースポーツにするには
レース見走録 4月22日号「自己表現」を自転車に込めて

今年、僕は日本国内ではミヤタスバルレーシング、そして海外での活動はTT3登録をした日本鋪道で走るという異例の環境を与えられた。3月〜5月末までの3ヶ月間イタリアを拠点に日本鋪道で活動する。

3月7日に日本を発ってからあっという間に一ヵ月半が過ぎた。この月は、いま思えばこれまで経験したことのない程、濃厚で多忙の日々の始まりだった。
7日の深夜パリに到着して1週間フランスに滞在、その後12時間かけスイス国境近くのイタリアのホテルへ移動。そして翌日にはUCIカテゴリー「1-5」の初めてのプロレースを走った。更に2日後の「1-3」のベルギーでのレースも走った。

ベルギーのプロレースを走れることについては特別な思い入れもあった。16歳の夏休みに初めてベルギーのレースを走り、「U23」の1年目まで毎年ベルギーで走っていたからだ。だからこそ本当に自分みたいな選手がこのレースを走っていいものだろうか?という疑問すら沸いてきた。そしてベルギーのレースの観客は特別だ。僕が走っていたジュニアのレースでさえコース上に絶えることのない観客。そう。ベルギーでは自転車競技は1,2を争うようなメジャースポーツなのだ。そんな思い入れもあってか絶対完走したいという気持ちは強かった。その結果無事完走することも出来た。

その2日後のフランスの「1-5」のレースでは序盤に決定的な逃げが決まってしまったがなんとか完走。そして1日空いてまたベルギーの「1-3」のレース。恐らく今までで一番きついレースだった。最後まで粘りこれも無事完走。ここまでは運も手伝ってかレースはうまい具合に走れていた。

こういった連続したレース出場はもちろんきついのだが、何よりも一番大変なのはレース後の移動だった。レース終了後深夜まですし詰状態の車内で何時間も移動することもあった。ヨーロッパの「TT3」のプロ選手のほとんどはこんな環境で走っているのだ。そしてそれを身をもって体験していた。レースで疲れさらに移動で疲れる毎日。

泊まるのは1泊1000円ほどのモーテル。いやカラオケボックスだ。そう思わせるほど狭い部屋に3人と自転車を押し込んで寝ていた。そんな移動の日々も終わり24日にはイタリアの活動の拠点となるホテルへ到着した。久々に食べるまともな食事。それまではレース後すぐ移動なので飯抜きなんてのもあったくらいだ。自分の食料は自分で確保する毎日だった。とにかく常に飢えていた。

そして予定はあってないものという事も身をもって知った。このホテルに着いて2日後の事だった。突然出動命令が出た。行き先はユーゴスラビア。3日間のステージらしい。詳細は不明。出発は明日朝・・・まさに不意打ちを食らった気分だ。そしてその時はこの先起こること等知るよしもなかった。

翌朝7時半に出発してレース会場のホテルに着いたのはなんと翌朝5時だった。今までの移動時間がかわいらしく思えた瞬間だった。1時間半の過眠を取ってレースに臨んだ。幸い距離が120キロしかなかったので助かった。だが、レース自体は山岳レースだったので睡眠不足の体に10キロや20キロの登りはさすがにこたえた。そして翌日落車しなんとかゴールしたものの手首を痛めて翌日はDNSとなった。
その後しばらくレース出場を控えることになった。今現在も手首にまだ痛みはあるが4月25日からイタリアで始まるアンダーの選手主体のレジョーニからレースに復帰することになる。

今年の春先のこの経験はきっと一生忘れることのない貴重な経験となるだろう。

タイヤは・・・
今年からPanaracerとパートナーを組む
「MIYATA SUBARU レーシングチーム」。
使用するタイヤは
Panaracerストラディアス エクストリーム」。