振り返ればそれは22年前の1987年、高校卒業と同時にプロになりたくてやってきたオランダ。今そのオランダに再びやってきた。
今年で選手を引退しようとしているが、その前にどうしても自分の選手としての原点であるオランダでの生活をもう一度しておきたかったからだ。
オランダと比べれば自転車競技を取り巻くすべての環境が後進国の日本。
ただオランダで生活するだけでもカルチャーショップを受ける毎日。レースを毎週複数こなすことで、選手をするということはどういうことか、プロになると言うことはどういうことなのかを身をもって知ることができ、そして一度は挫折し88年の秋、シーズン終了とともに帰国した。
89年、今のようにプロもアンダーも何も整理されていない時代、全日本選手権に外人招待選手が走っていた時代に若干20歳で6位。一度諦めかけていたプロへの夢をもう一度追いかけようと決意。アルバイトをしながら資金を調達し92年より再びオランダへと「戻った」。
ほとんどレースで入賞を繰り返し、94年よりプロライセンスを取得し、翌年イギリス籍のFSマエストロと契約。2年間在籍し、その後にベルギーのトニステイナーに移籍し、結局6年間在籍した。
その間、ランドバウクレジットと名前を変えて当時のディビジョン2(現在のプロコンチネンタル)ランキングでは1位を争う強豪チームとなり、当時のチームメートには、ツールでイエロージャージを1週間着用したりフランドルやリエージュでも優勝経験のあるデンマークのソレンセン、のちにジロ総合3位やツールで新人賞を獲得するポポビッチ、ツール区間賞のベルヌッチなどがいた。
ヨーロッパのクラッシックレースで逃げ、テレビのテロップに自分の名前、そして日の丸が映し出され、そして自分の選手としての紹介が解説者によってオンエアされたとき、自分の夢が現実になったと感動し達成感に包まれていた。
2003年、長年滞在していたヨーロッパを離れ日本へ。
今年、自分が選手と言う職業をしている間にもう一度プロを目指した自分の原点であるオランダで走りたかった。
あのときに見たもの、感じたものをもう一度体験することで、何か自分の中で足早に過ぎてしまって忘れてきてしまったものを、もう一度見つけられるのではないだろうか、と・・・
もしかしたら何も忘れていないかもしれない。知らない間に大きなものを忘れてきているのかもしれない。それすらわからないぐらい、この20年はあっと言う間だった気がする。
辿り着いた第二の故郷であるオランダ・ヘーレンフェーン。
いきなり毎日吹雪と強風で人間力の強さを試されている感があるし、最後のオランダ遠征が記憶から消えないものにするためには十分なインパクトだ。
当時、この尖ったように冷たい空気が鼻や頬っぺたに痛みを与え、それとともに練習するのが自分への試練と感じていた。この先にプロの世界がある、と…
しかし今はそう感じない。
選手じゃなければきっとこんな天気では走らないだろう。
その選手としての生活ももうカウントダウンしている。
あとは選手としての自分を最後まで全うしたいと思う。
今回のオランダ遠征もあと3週間ほど、毎日を全力で走り抜けたいと考えている。

オランダの風景が近づいてきた

オランダと言えば風車

こんな天気が続けばいいが…

選手生活最後のシーズンを共に過ごす愛車
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