野口忍は07年シーズンを持ってMTB・ロード共に競技生活から引退することを決意した。この決意に至った理由など細かいことはどこにも公表していないので、おそらくこのパナレーサーでのコラムが初であろう。
自分が自転車を始めたのはちょうど19歳の時で、当時同じ職場で先輩にあたる現「チーム☆ルパン」で活動されている近江忠仁氏の勧めからであった。その当時の自分はというと、パーマをあてサングラスをして会社に出勤するというちょっと世間からは浮いている若者であった。タバコは吸うし、パチンコ・マージャンが趣味で、一切しんどいことなどしたくないという堕落した若者の生活を送っていた。むしろこの年の若者にすればそれは堕落というよりも普通なのかもしれないが・・・
そんな若者が多い職場だったからか、本人もそんな風だったからなのかは分からないが近江さんは上手く自分を挑発し、その気にさせてくれた。初のレースも近江さん達のメンバーの1人として参加し、初めてチーム競技の楽しさを知るきっかけとなった。練習はきついがいつの間にかMTBの楽しみの虜になり、週末はもちろん正月からみんなで練習に出掛ける日々が続いた。そんなホビーライダーであったが、レースにかける思いは人並み以上に熱く、いつしか関西のローカルレースでは上位入賞できるまでになってきていた。そんな自分の熱い走りをかってくれ声をかけてくれたのが、パナレーサーの坂本裕規氏であった。当時はライバルとして戦っていたのだが、自分が本気で選手として取り組むのなら協力してくれるという話を頂き、後日当時工場のあった関目にて宮路氏にお会いしスポンサードを受けることとなった。
チームはいくつか移籍してきたが、タイヤスポンサーだけはパナレーサー一筋だった。もちろん選手として活動していく上で、勝てるタイヤで勝負したい気持ちが強いのはもちろんだが、同時に宮路氏のレースにかける熱い思いにも共感してきたところが大きい。こんなタイヤを作って欲しいとお願いすればすぐに形になる、そして日本の地形にあったタイヤを製作出来るという部分では海外メーカーには出来ないアドバンテージとなる。そのお陰で、多くの大会で優勝することが出来、たくさんのタイトルを獲得することが出来た。
何が言いたいかというと、これまで選手としてやってこれたのは周りの方々のお陰であるということだ。どんな世界であってもこの世の中で生活している以上、人との関わりなしでは生きていけない。色んな人と関わりながら“チーム”として生きていくことがどれだけ素晴らしいことなのかを自分は自転車競技者として活動することで教わってきた。笑いがあれば、涙する場面も多々あった。感動することもあれば、悔しさ・怒りなど経験することもある。このような体験を出来ること自体が人生の醍醐味であり、毎週末のようにそれを経験しながら歩んでこれた自分を本当に幸せだと感じている。
ではなぜそこまで幸せであった競技生活にピリオドを打つことを決意したのかというと、自分自身の競技においてのレベルアップにはもう満足したというのが一番の理由だ。これ以上やっても伸びる可能性が少ないという方が正しいのかもしれない!! 人は努力すれば自分の能力は幾らでも向上することが出来ると思う。しかし、肉体的な部分では決してそうでない。残念ではあるが人は歳を取り、肉体は退化していく。それと同時に若い勢いのある選手達が現れ、ちょうど交差する部分が今のように感じている。自分がこれまで教わってきたことを今後日本を背負っていくであろう小野寺健・竹之内悠に教え伝えると同時に、自分の人生を変えてくれた素晴らしい自転車を少しでも多くの方に伝えていきたいと考えている。
これからは別の形になるが、自転車を通じてたくさんの人といろんな感動・興奮を経験しながら歩んでいきたいと思う。
パナレーサーと共に戦ってきた12年間、野口忍を応援していただき本当にありがとうございました。そしてこれからも野口忍・パナレーサーともどもよろしくお願い致します。
これからも仕事または趣味としていろんなイベント会場に現れる予定なので是非声をかけてください。

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